綴虚堂の日々

ヲタの日常

映画刀剣乱舞 黎明

まず、具体的なネタバレなしの感想から。

作品閲覧前注意事項:残酷な描写、ホラーにあるタイプのびっくりさせて視聴者を怖がらせる演出、子どもがひどい目にあう描写

序盤~中盤にかけてとラストはすっごい楽しかったです。
残念ポイントはラストに向けた展開・解決パートが唐突で陳腐かつ尺が長く、いつになったら終わるのかとまで感じること。
ただ、興味深い部分は間違いなくあるので、悩んでいる人は安い時とかにでいいので、一度自分の目で見てほしい作品でもあります。
冗長だと感じた部分がさくさく進んでいたならば、私は「荒い部分はあれど面白い作品である」と評価したと思います。

これを書いている筆者は、ここまでで2回映画を見ております。(通常版&MX4D版)
一回目と二回目の鑑賞で、印象は特に変化ありません。強いて言えば、何を冗長と思ったのかを認識したくらい。

このあとはネタバレ含めていきます


冒頭の「大江山の鬼退治」パートは、残酷さも含めて最高でした。
古代の話で鬼・怪物として表現されるものは、まつろわぬ者・すなわち人間である、という解釈は、文学や歴史方面の話を追いかけていると、どこかで遭遇するものかと思います。
でも、あの予告編からまさかその解釈に繋げるとは思わなかったので、ここは驚きポイントでした。

鬼退治とは口実であり、討伐対象は人間であると承知の上で行軍する頼光の前に現われる遡行軍と、あわやのところで介入する刀剣男士。
頼光たちは刀剣男士を見て、神仏か?みたいなことを言ってるんですが…これあとから気づいたんですけど、人ならざる超常の者の助けを得たことで大江山の鬼を倒すという、世間で語られる「大江山の鬼退治」の概要きっちりクリアしてますね?
なお、大江山の鬼退治の物語を知らない人はこれがわかりやすいです。(少なくとも記事を書いた時点で無料で読めました)
comic-walker.com

鬼退治として描かれるのは、ほとんど抵抗もできないまま無残に殺される男女の姿。
切り落とされた腕、などという物騒なものもそこには描かれます。
渡辺綱が鬼の腕を切った話」というのもつまりはそういうことなのだというかのようです。
(ミュを追いかけている方々は、乱舞祭の百物語で膝丸が語った、兄者の伝説を思い出してください。あれのことです)
酒呑童子はこの状況を「歴史」として肯定した山姥切国広に怒りを向け、山姥切国広の刀身を自らの血で汚すことで呪いました。(あるいは、もうちょい生きてはいたけども命と引き換えでの呪いタイプかも?)
ここまでの導入パートは、本当に見たかったものががっつり詰まっておりました。

そして現代パート。
物の声が聞こえてしまう少女、琴音が三日月と出会い、半ば珍道中を繰り広げるパート。
ここは、賛否両論でそうだなと感じつつも、私は面白いと思いました。
少々チープな演出もあるものの、このストーリーにおいて、軸はあくまで人間におくのだ、という宣言部みたいなものなので、必要な場面であると思います。
「予想していたものとは違っていたけれど、これはこれで面白い」という評価になると思っていたのですよ。初見のこのあたりでは。

事件の発生~仮の主たちが一カ所に集合するパート。
役人の各務、女子大生の実弦、神職の倉橋、とばらばらの属性を持った仮の主たちについては短いシーンで見事にキャラクター性が描かれておりました。
予告にもあった山姥切国広・三日月宗近・山姥切長義の三つ巴戦は最高でした。
(物理的な話としてそこからどうやって合流したの?とか、このあたりの時間経過はどのくらいの想定なの?とか思うんですが、まあそこはおいといて)

この後、事件の犯人である少年の動機が開示されるパートと、琴音の葛藤、少年と琴音の対話パートが陳腐かつ長いのが大変残念な部分です。
陳腐だというだけならいいんですよ。陳腐というのはありふれていて頭に入りやすいということでもあるので、描写が短くても話が通じるようになるメリットもありますから。
なのに今回は、そこまでのパートで情報が圧縮されたものを楽しんでいたところから一転して、圧縮されていないどころか引き延ばされた表現を延々見ることになるのが苦痛でした。

少年の動機は弟を助けたいというものでしたが、実は弟は既に死んでおり、絶望から酒呑童子と同じように鬼に変じました。
動機が個人的な強い感情であるのは、琴音との対比だからいいと思うんですよ。
とはいえ描き方がとにかく長い。鬼に変じる場面の繰り返しはしつこいとまで思いました。

琴音の葛藤とその解消。
鬼を倒せば解決すると語る髭切。そこにためらいはありません。冒頭の腕で暗示されたとおり、彼は鬼(とされた人)を斬るための刀ですから。
人間を殺すのか、その手助けをしろというのかと葛藤する琴音。
これも葛藤までは悪くないとおもいます。使命を第一とする刀剣男士と葛藤する人間の対比。
ここでは解消に至る対話部分が、長い説明的台詞なのがマイナスポイント。

少年と琴音の対話。
ここは前置きとリフレインが長い。
説得ロールの中心部分は、先行する紋切り型作品と比較して誠実ではあるんですよ。
琴音は少年が残していったボールを持っているので、物が語った様子を聞いているのだろうとそこまでの場面で思わせてくれています。
そのうえで、あなたのことは知らないけれど、という前置きを置いて、少年のことも弟のことも勝手な代弁はしない。
あくまで弟を一番よく知っているのは少年であるのだ、というスタンスです。
ただ、そこに至るまでの自分語りパートの接続が悪いのでぐたぐだとして聞こえます。
弟の死を知覚したことで厭世的になっていた少年が、よびかけによってこの状況を改めようと自覚するのもまあいいんです。
でも挟み込まれる弟の声や過去イメージの分量が多すぎる。
あと、このあたりのシーンは特殊加工の関係か、ポーズまで含めて絵面の変化が少ないのも長々と感じる部分かと思います。

そこからのクライマックスでは、見たい物をたっぷり見せてもらいました。
欲を言えば更にあれも見たいこれも見たいはあるんですが、ラスト最高。
問題はやっぱり、話を終わりへと導く部分の冗長さですね。前半部の、知らなくても話は通じるけど知ってたら・気づいたら更に楽しいというあの圧縮加減を維持してほしかった。
人間をメインに置くのはいいんですよ。
ただそれなら琴音ちゃん以外の仮の主たちをもっと描いてほしかったし、敵の少年も弟との記憶以外の方向から描写をしてほしかったです。


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これは「わかる人だけわかればいい」要素だと思うんですが、マイノリティの排除から支援へという視点は見事だったと思います。
平安の世においてはマイノリティたる酒呑童子は排除されるべき立場でした。
けれど、作中で描かれた2012年は違います。

琴音は物の声を聞く能力によって苦痛を感じていました。
障害と個性の切り分けをどこでするかという話のときに、生活に支障があるかどうか、という観点があるわけですが、それでいうなら障害のある状態です。
けれど彼女には、その状態を理解し、ヘッドホンのプレゼントという形で助けてくれる友人がいます。

その友人も、おそらくはマイノリティなんですよね。冒頭では先輩と別れた(振られたでしたっけ?ちょっとあいまい)ということでしょんぼりしていました。
けれどあの学校、画面に映った範囲には女の子しかおらず、学校名の一字目は「淑」、教室の後ろに貼られた「(顔/肌の)メイクよりノートのメイク 先生はすっぴんノートは見たくありません」という、女の子が外見を気にすることを揶揄うかのようなクラス標語。女子校でしょう。
つまり先輩も、女の子であると思われるわけです。それでもあの友人グループは、特別なこととして扱わず、普通のこととして対応していました。
周囲からその理解度は当時現実的でない、とも言われたのですが、女子校で・仲のいいお友達限定でならそういう対応もあり得ると、作中より前の時代に女子校に通っていた身としては思います。女子校にいるとジェンダー論方面に触れる機会が一般と比べてはるかに多くなるので。

支援の手から漏れて悲劇にあってしまった少年も、エピローグの中では隣に支援者と思われる大人の女性が付き添っていました。

一つだけなら偶然かも、勘違いかもなんですが、これだけ揃ったら制作側の意図によるメッセージなのだと思います。
更に重ねるならば、酒呑童子/少年の役に、マイノリティとしての葛藤を経験した方を起用したというのもその一環なのでしょう。
(とはいえ特にここは作品外の要素であるからこそ、メッセージとしてはわかる人だけでよいという扱いのもの、として認識しています)
www.cosmopolitan.com

それを思うと更に惜しいと思うわけです。
説得パートの冗長な説教臭さがなければ、自然なものとして弱者支援をエンターテイメントの中で描いた作品になったでしょうに。

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もうちょっとしょうも無い感じの好きなところ。

ギターケースに三日月を入れた琴音ちゃんがトーハクに行く場面。
美術館通いしてる人たちなら「それ、そのまま入っちゃだめじゃない?」となる場面です。いくら隠しても長いもの・でかいものは展示室に持ち込めません。
ちゃんと警備員さんが止めに入ったの、最高でした。
(その解決が強引であっても、それはそういうコメディとして楽しいかと)
でもその前の場面の三日月さん、あとを人間にまかせるのはいいけど抜き身のままはよろしくないと思うのよ。せっかく納刀したのだから鞘おいていきなさいよw

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山姥切国広を中心に見たとき、逸話の語り直しになっているのもぞくぞくきました。

山姥切国広の逸話についてはゲーム内だと修行の手紙でちらっと触れられるだけで語られないため、知らない方もいるかと思いますので簡単に説明を。
臨月の妻とその夫が山中を旅しているときに、妻が産気づき、山中で見付けた家に住んでいた老婆に妻を預けて夫は薬を買いにいきました。
夫が戻ると、妻が泣いており、老婆が生まれた子を食べてしまっていました。その老婆を最終的に斬ったので山姥切という、というお話です。
新刀名作集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

「化物退治なんて俺の仕事じゃない」という台詞とは、別に矛盾は起こさないんですよね、これ。
「鬼と山姥は似たようなもの」で「とても鬼には見えない」

母親の前で生まれたばかりの子を食べる、などということをしでかすには、そんな状況に追い込まれるような背景があったのでしょう。
でもね、どんな理由があろうとも、生まれた子を食べてしまったなら、それは人ではないと扱われても仕方が無いわけです。だって、美味しそうって言っただけでも鬼に違いないと言われるものなのですから。
巻二十七第十五話 赤子を食らう白髪の老婆の話 | 今昔物語集 現代語訳
(というここまでが前提情報)

たとえその自覚はなくとも「追い詰められて人の理から外れ、人に害を為した者」を斬った刀が、この物語の最終局面において同様の場面を迎え、けれど、(どういう理屈なのかはともかく)殺すのではなく、人の理の中に連れ戻した。その構図が見事だなと思ったのです。

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MX4Dは今回初体験だったのだけども、私にとっては椅子がもぞもぞしたりするのは面白いポイントにはならないというのを理解いたしました。
今度はバリアフリー版行ってみたいかなと思っております。